2024/03/02 17:02

はじめに

昨年サントリーは、サントリーウイスキー100周年へ向けた取り組みとして、山崎蒸留所・白州蒸留所において、フロアモルティングを導入すると発表しました。フロアモルティングすることでさらなる品質の向上を図る、と書かれています。

では実際に、「フロアモルティング」とはどのようなことなのでしょうか。

スコットランドの蒸溜所で伝統的に行われてきたフロアモルティングについて、日本語で網羅的に書かれた資料はほぼ見当たらなかったので、まとめてみることにしました。

そもそもフロアモルティングって何?

フロアモルティングとは、乾燥した大麦を水に浸し、その湿度を含んで重くなった大麦を床に広げ、酸素を与えて発芽させることによって大麦に含まれるデンプンをウイスキー作りのために必要な糖分に変化させやすくし、適切なところで温度を加えて発芽を止めるという一連の製麦作業を、蒸溜所が自ら行うことをいいます。

(ボウモア蒸溜所のモルティングフロア、筆者撮影)

かつてスコットランドの蒸留所では、伝統的に蒸留所内のモルティングフロアで、自らの蒸留所でウイスキー作りに必要な大麦のほとんどを自家製麦してきました。

しかし、1960年代から70年代のウィスキーブームで需要が拡大し、蒸溜所内で大きな面積を必要とするモルティングフロアをつぶして発酵・蒸留設備を増強し、モルトスターと呼ばれる外部の製麦業者からモルトを買うことで生産量を拡大するという手法が取られ、フロアモルティングは一部の蒸溜所を除いてすたれてしまいました。

(スプリングバンクのモルティングフロア、筆者撮影)

このバルヴェニー蒸溜所の50秒ほどの動画を見ていただくと、フロアモルティングとはどういう工程なのか、イメージが掴みやすいと思います。




今でもフロアモルティングを行っている蒸溜所はどこ?

一番有名なのはウイスキー作りに使うすべてのモルトを自分で製麦しているスプリングバンク蒸溜所でしょう。
現時点でフロアモルティングを行っていることが確認できているスコットランドの蒸溜所は以下の通りです。

スプリングバンク
ボウモア
ラフロイグ
キルホーマン
アビンジャラク
ハイランドパーク
バルヴェニー
ベンリアック
グレンギリー

これ以外のいくつかの新興蒸溜所でもフロアモルティングを行っているかもしれません。

フロアモルティングはどれぐらい大変な工程なのか

モンキーショルダーというウイスキーはご存知ですよね。モンキーショルダーは直訳すれば「猿の肩」ですが、数時間おきに水分を含んで重くなったグリーンモルトをシャベルでひっくり返すというきつい肉体労働を行うため、片方の肩だけが大きく筋肉で盛り上がっているモルトマン独特な肩のことをまるで猿の肩のようだ、ということでモンキーショルダーといいます。

それぐらい肉体的にも負担がかかる作業ですが、重労働だというだけではなく、大麦という植物の発育過程において温度と湿度、またそれ以外の様々な要素をコントロールしないといけないため、プロセス中に小休止が取れず365日24時間休みがない上に、外気温や湿度、風向きなどの影響を強く受けるため、非常に難しい工程管理が必要となります。

具体的な作業について見ていくことにしましょう。

(マニアックなのでこのセクションは興味がなければ読み飛ばしていただいて結構です)

含水量が43-45%に保たれないと大麦が「溺れてしまって」呼吸ができず、発芽が進まないので、まず適切な浸漬を行うことが重要です。

その上、水温によって適切な浸漬に必要な時間が変わるのと、水温が上昇すると発酵に必要なα-アミラーゼ酵素が減ってしまうので夏と冬とでは浸漬の方法を変える必要があります。

(フロアモルティング中のモルト、筆者撮影)

例えばキルホーマン蒸溜所では、冬には麦を12時間水に浸し12時間水切りを行うというサイクルを2回行いますが、夏には8時間浸水し8時間水切りするサイクルを3回行います。いずれも48時間かかります。12度から16度の水温で浸漬するのが理想なので、夏場は水温の上昇の影響を減らすために浸水の時間を短くしています。以下の写真はスプリングバンク蒸溜所での標準的な浸水作業の時間を示しています。


(浸水中のモルト、スプリングバンク蒸溜所にて筆者撮影)

浸水が終って望ましい含水量に達した大麦は「グリーンモルト」と呼ばれますが、グリーンモルトは手作業でモルティングフロアに敷き詰められるので、先ほど述べたモンキーショルダーになってしまうぐらいの重労働です。

(スティープ(浸水)させたグリーンモルトを運ぶチャリオット、ボウモア蒸溜所にて筆者撮影)



グリーンモルトの床への敷き詰め方は、気温その他の状況でその時その時で変わります。 寒い季節は室温が低くなるため、グリーンモルトは約40〜50センチと厚めに敷き詰められ、暖かい季節は薄く敷き詰められます。

(ラフロイグ蒸溜所のモルティングフロアにて、グリーンモルトの層の厚みに注目 筆者撮影)

敷き詰められた大麦は、水分によって刺激されて発芽し、呼吸が始まります。呼吸によって熱が発生しますが、そのままにしておくと熱がこもって敷き詰められた層の内側だけで加速度的に発芽が進み、空気で冷やされる外側では発芽がゆっくり進むというムラが発生してしまってウイスキーの品質に悪影響を及ぼします。

それを防ぐために、巨大な熊手のようなレーキや芝刈り機のような機械で一定時間ごとにグリーンモルトの層をかき混ぜます。
またかき混ぜることで、呼吸に必要な酸素をまんべんなくグリーンモルトに行きわたらせる効果もあります。

(スプリングバンク蒸溜所のモルティングフロアにて時給5ポンドでバイト中の筆者(嘘))

発芽期間中は、十分な水分を維持することも重要です。グリーンモルトが脱水状態になり、生育が妨げられることを防ぐため、水分量を40%以上に維持するためにずっとモニターする必要があります。


(スプリングバンクのモルティングフロア、筆者撮影)

グリーンモルトがモルトフロアに敷き詰められている間に、3つの大きな変化が起こります。
一つ目は、大麦の細胞壁を分解する酵素が生成され、この酵素の働きによってウイスキー作りに不可欠なデンプンへのアクセスが容易になります。
二つ目は、タンパク質を分解する酵素が生成されます。
三つ目は、デンプンを発酵可能な糖に変換する酵素が生成されます。

これらの変化は「モディフィケーション」と呼ばれます。

発芽が続いてしまうとせっかく生成されたデンプンが大麦が草になる成長過程に使われてしまうため、芽が大麦の粒の4分の3ほどの長さになると乾燥させて水分量を減らすことで発芽プロセスを止めます。この段階に達するには5日ほどかかると言われています。再び手作業でモルトフロアからグリーンモルトが運び出され、キルンと言われる乾燥塔に運び込まれます。キルンは蒸溜所の写真でよくみる、換気の機能がある塔です。

(ストラスアイラ蒸溜所の2つの立派なキルン、筆者撮影)

キルンの上層階の穴の空いた網のようなフロアにグリーンモルトを入れ、下から熱を加えることによって発芽プロセスを止めます。

(ラフロイグのキルン内、筆者撮影)

僻地のアイラ島では昔はガスも石油もなく、島には木もあまり生えていないので泥炭、つまりピートを燃料とするしか選択肢がなかったので、伝統的に独特のピートの燻香がグリーンモルトに、そして出来上がったウイスキーにもたらされます。

私は実際にピートスモークを焚いているところに手を突っ込んでみましたが、あまり熱くないことに驚きました。温度と湿度が高すぎるとモディフィケーションで生成された酵素が死んでしまうため、ピートを炎が上がるようにガンガン燃やすのではなく、できるだけ燻るように燃やすことで温度と湿度、空気の量、時間をコントロールすることが重要で、温度がそれほど高くないのです。


(点火の準備中、スプリングバンク蒸溜所では全て手作業で行われる)

(まずピートで低温で燻してからオイルを使って温度を上げて乾燥させ、撹拌してモルトにする)

(スプリングバンク蒸溜所での標準的なキルニングの工程表)

スプリングバンク蒸溜所では、下からピートが焚かれている狭いキルンの中にゴーグルをつけた人が入って、グリーンモルトに均等にピート香がつくように人力で撹拌しています。とても厳しい作業であることが簡単に想像がつきます。下の写真で階段を上がった狭い部屋がその場所です。

(スプリングバンク蒸溜所のキルン内、筆者撮影)

スプリングバンクでは冗談で「うちのウイスキーってなんで塩っけ強くブリニーか知ってる?汗だよ汗、あのキルンの中に入って人力でかき混ぜたり、フロアモルティングで汗びっしょりになったりしているからね(笑)」と言っていました。

10〜15時間ほど加熱し、その後空気を20時間ほど吹き込むことで、グリーンモルトの含水量が5%ほどになるとモルティングは終了です。これ以上成長することがなく、ウイスキー作りに使えるようになった状態の麦が「モルト」と呼ばれます。ですがモルトになったばかりの麦がいきなりウイスキー作りに使われるのではなく、最低でも6週間ほどは眠りにつきます。

作業が大変なだけではなく経済的なコストも高い

フロアモルティングの作業が労働集約的でどれだけ大変か、これまで読んでいただいてわかっていただけたかと思いますが、実は手間暇かかるだけでなく、生産効率面・経済面でも大きな負担になります。

ニューメイクスピリット、すなわち熟成前の原酒を作るコストのうち、モルトのコストが占める割合はおよそ55-60%と言われています。
そのコストを下げることができれば、費用面での生産効率は上がります。高度に機械化され、多くの生産を行うことによって規模の経済が働いてコストを下げることができるモルトスターからモルトを購入した方が、原酒を作るコストが安くつくのはお分かりになるでしょう。

さらにフロアモルティングを行うことによって、大麦1トンあたりからとれる純アルコールの量が5-8リットルが減ってしまうと言われています。

フロアモルティングでモルトのコストが高くなり、そのモルトを使うと少量の原酒しか生産できないわけですから、さらにコストが上がります。

またモルティングには蒸溜所内の限られた敷地内に大きな面積のフロアが必要となります。経済合理性だけ考えれば、大きな面積をフロアモルティングで使うより、外部からモルトを買って発酵・蒸留施設を拡大した方が生産量を増やすため(よりお金を儲けるため)には効率的です。

そのため、1960年代のウイスキーブームによる需要拡大に応える必要があったDCL社(現在のディアジオ)は、1968年2月に29の蒸溜所でフロアモルティングを廃止するという決定をしました。そして他の生産者もそれに続きました。結果、伝統的なフロアモルティングを行う蒸溜所の数は激減してしまいました。

フロアモルティングをすると実際に味が良くなるの?

ウイスキーのプロたちがわざわざ時間とコストをかけ、夜も昼もなく数時間おきに水分を含んだ重い麦をひっくりかえすような重労働をしてまでフロアモルティングをする理由は、当然彼らがフロアモルティングによって香味がより良いものになると信じているからです(ブランディングだけを目的にしている可能性も0.1%ぐらいはあるかと思いますが)。

直感的には、数日間にわたって湿った麦が外気にさらされ、フロアの上に置かれ続けることで、蒸留所に常在する様々な菌や酵母が付着して発酵工程に影響を与えるというのは簡単に想像がつきます。またモルトの粒ごとに発芽やデンプンの生成状況にムラができ、それが独特の香味をもたらすであろうことも。

(グレンギリーのモルティングフロア、筆者撮影)

そしてより直接的に影響を与えるのが、ピート香をつける工程です。

フロアモルティングの最終工程では乾燥させ発芽を止めるために熱を加えますが、その際にピートを用いて加熱することで蒸溜所が独自にピート香をコントロールすることが可能になります。


(ボウモア蒸溜所にて筆者撮影)

例えばハイランドパークでは、ヘザーハニーの甘さとヒース由来のピート香のバランスが絶妙で蒸溜所の伝統となっていますが、フロアモルティングをやめてしまえばその伝統はなくなってしまいます。

ボウモアで1990年からずっと蒸留所長を務めているデヴィッド・ターナー氏は以下のようにコメントしています。

「フロアモルティングによってより力強くリッチなフレーバーな特徴が我々のニューメイクに与えられます。よく知られているオールドボウモアのフルーティーなフレーバーは、フロアモルティングによってもたらされている部分もあると我々は信じています。」

スプリングバンク蒸溜所では1960年代にフロアモルティングをやめてしまい、1991-92年ごろに再開しました。91-92年以前に蒸留された原酒も当然悪くはありませんが、フロアモルティングが再開されて操業が安定した93年蒸留以降の原酒は複雑さや土っぽさが与えられ明らかにクオリティーが高くなっています。

(フロアモルティング再開直後の92年蒸留のスプリングバンク、土の香りと複雑さが拾える)

フロアモルティング再開前のウイスキーはその分長熟なので、直接的にフロアモルティングが香味にどのように影響するのかが比較できないのが悩ましいところです。またボウモア、ラフロイグ、ハイランドパークなどもフロアモルティングされているものとされていないものを直接飲み比べることはできません。

ですが、フロアモルティングされたものとそうでないものの香味の違いをかなり直接的に比較することができる、数少ない方法があります。

ベンリアック蒸溜所からリリースされた、1世紀ぶりに復活したフロアモルティングで作られたモルトを100%使用した「モルティング・シーズン」シリーズのボトルを、通常のベンリアックのボトルと飲み比べることです。

これにより、自分自身でフロアモルティングの香味とはどういうものかを感じとることができます。それに、モルティング・シーズンも通常のベンリアックもそこまで高くはなく、入手困難でもありません。

この記事を書いているのは2024年3月2日ですが、3月6日ごろベンリアック モルティング・シーズン ファーストエディションを当店で発売予定です。

この記事を最後まで読まれた方は、ぜひベンリアックのオフィシャルボトルを置いている行きつけのバーのバーテンダーに「フロアモルティングされたものと飲み比べしたいからコマスピでモルティング・シーズン買って」とお願いしてみてください。

(多分なんですが、100年ぶりにフロアモルティングを復活させてすごく大変な苦労を数日間続けて気合い入れて作ったモルトから蒸留した原酒は、蒸溜所で働く人たちも相当な思い入れがあるはずで(「こんなに苦労したのに不味くできたら悔しい」って思うのが人情なので)、発酵も蒸留も丁寧に行われ、カスクも優秀なものを選んで熟成されたはずに違いなく、フロアモルティングの効果だけではなく様々な要素により普通のオフィシャルボトルより美味くできているのではないかと思っています)


参考
Working on the Malt Line Whisky Magazine 
Taking the Floor Whisky Magazine