2024/12/02 15:49
アイルランドにて2015年から操業を開始した比較的新しい蒸溜所、ウォーターフォード蒸溜所が11月27日残念なことに破綻しました。
ウォーターフォードの破綻のニュースは、一般のウイスキー愛好者の方にとっては「あ、新興蒸溜所の一つが潰れたのね、雨後の筍のようにたくさん出てたからね」ぐらいにしか思われないかもしれませんが、実はウイスキー生産者に近い人にとってはかなり深刻なニュースです。
というのも、
- ウイスキービジネスに新規参入した蒸溜所が破綻したのならまだ分かるが、長年ワイン・ウイスキー業界にいた、有名ボトラーの創業者でもありブリックラディ蒸溜所を復活させたほどの重鎮が経営する蒸溜所だった
- 作っていたウイスキーのクオリティと製造技術は(それなりに)高く評価されていた
のですが、
- 新しいコンセプトのもとで他の蒸溜所と差別化ができていたにもかかわらず、高価格路線に消費者がついてこなかった
- ファーストリリースが数年前に出て当初投下資本の回収期に入っていたにも関わらず、当初想定を大幅に超える原材料高のせいもあり資金ショートした
- ファーストリリースが数年前に出て当初投下資本の回収期に入っていたにも関わらず、当初想定を大幅に超える原材料高のせいもあり資金ショートした
ために破綻してしまったからです。
財務諸表をちゃんと見れば破綻の前兆は1年以上前からあったのですが(後述)、このニュースで業界に緊張が走るのも理解できます。
それでは私見ではありますが、以下の4つの観点からこの破綻の影響をまとめます。
1. ウォーターフォード蒸溜所とはどんな蒸溜所だったのか
2. 破産(管財人任命)の理由
3. 現在売られているウォーターフォードのボトルの価格はどうなるのか
4. ジャパニーズその他の新興蒸溜所、ボトラービジネスへの影響
1. ウォーターフォード蒸溜所とはどんな蒸溜所だったのか
(一言でまとめると:ウイスキー業界歴の長いガチのプロが経営・生産し、志は高かったもののこだわりが強すぎてコスト高で競争力がなく、売れ行きが伸びなかった)
ウォーターフォードは現在のウイスキー業界でも伝説的な人の一人、マーク・レイニアによって創業されました。
彼はワイン商一家に生まれ、ウイスキーボトラーとして有名なマーレイ・マクデイヴィッド(Murray McDavid)社の創業者の一人であり、アイラ島の閉鎖ウイスキー蒸溜所ブリックラディを2000年に600万ポンド(当時の為替レートで約10億円)で購入して再興させ、2012年にレミー・コワントローに5800万ポンド(同約71億円) で売却した凄腕経営者でもあります。
ブリックラディ売却後、レイニア氏はアイルランドのシングルモルトに狙いを定め、2014年にアイルランド南東海岸のウォーターフォードにあるグラッタン埠頭の敷地のギネスビール工場を改造してウォーターフォード蒸溜所を設立。2015年12月8日に蒸溜を開始し、ウイスキーブランド「ウォーターフォード・ウイスキー」として、「テロワール」を重視したウイスキーづくりを続け、2020年に最初のボトルを世に送り出しました。
ウォーターフォードの特徴は、アイリッシュウイスキーづくりの原点回帰を目指し、「ウイスキー蒸溜所の中でスピリッツを作るスチルマンが何をどのように行うか」ではなく、農作物としての大麦を作る農家とその大麦が生産される土地、テロワールに焦点を当てたことにありました。
ウォーターフォードは、特定の農家が作った特定の大麦からのみ作る「単一農家原産ウイスキー」を作り、それによって使う大麦でウイスキーの味が大きく変わることを証明しようとしていました。
また蒸留方法の優劣に重きがおかれる通常のウイスキー造りと異なり、発酵により重きを置きます。麦汁を作る際は水と大麦を混ぜて粉砕し、空気に触れさせないことで大麦のアロマとテロワールの風味を保ち、ワインと同様に麦汁を空気圧で圧搾し一滴残らず抽出します。
その麦汁を、通常の2日程度の発酵ではなく7-8日間も発酵させます。そしウイスキー作りでは誰もやったことのない、ワイン作りで用いられるマロラクティック発酵手法で二次発酵させています。
麦汁の温度を下げず超長時間発酵させることでイーストが麦汁の中の糖分をアルコールにゆっくりと変換させ、マロラクティック発酵で酸度を低め乳酸の香味を付け加えることでより複雑でしっかりした香味を生み出そうとしていました。
このように大麦生産農家ごとに作り分けすることも含め、非常に手の込んだ生産方法を採用していたため生産費用がかさみ、古くからの生産規模の大きな蒸溜所のウイスキーや、他のアイルランドの新興蒸溜所のお手頃なウイスキーと比べて割高感があり、一般消費者に対する販売が伸び悩みました。
本来「刺さる」はずだった一部のウイスキー愛好者たちからは評価されましたが、ウイスキーオークションではウォーターフォードのボトルが定価の半値程度で落札されることが散見され、狙っていたマニア層はそちらで購入してしまうなど、作ろうとしていたブランド価値に対して市場の評価は低い状態でした。
またブランドコンセプト上どうしようもないことではありましたが、いつでも手に入れられる「定番商品」がないことで、消費者のブランドロイヤリティが育ちにくかったことも失敗の原因として指摘されています。
2. 破産(管財人任命)の理由
(一言でまとめると:前述の高コスト体質に加え、アイリッシュウイスキーの最大市場であるアメリカで売れ行きを伸ばすためマーケティング費用をかけたものの全体の市場が冷え込んだ上にウォーターフォード製品の売れ行きが伸びず、手元資金が枯渇して破綻へ)
ウォーターフォードの親会社の2022年度の財務諸表を見ると、今回の破綻が青天の霹靂ではなく、財務諸表が公表された2023年8月時点である程度予想できていたことがわかります。
- 売上は2021年の3.3百万ユーロから2022年は3.0百万ユーロに減少
(アイリッシュウイスキー全体の生産量ベースでは同時期8%以上の増加にもかかわらず)
(アイリッシュウイスキー全体の生産量ベースでは同時期8%以上の増加にもかかわらず)
- 赤字は2021年の0.9百万ユーロから2022年は2.1百万ユーロに拡大
- 2022年のアルコール換算生産量は原材料コスト上昇により25%減の73万リットル(2021年は98万リットル)、アルコール1リットルあたりの製造単価は7.39ユーロ(2021年4.43ユーロ)と67%高騰
(仕入れのための手元現金が限られていたせいで高騰した原材料を買う量を減らさざるを得ず、生産量が減少したと思われる)
- 2023年1月に4年分の運転資金を確保するため45百万ユーロのクロスボーダー資産担保ファイナンスをHSBCから調達
(ただし2022年末時点での短期借入金残高は41.8百万ユーロあったため、追加で借入可能な額は3.2百万ユーロにとどまり、赤字が拡大すれば資金が枯渇するのは分かっていた)
- 2022年中に返済予定だった2.9百万ユーロの返済が(おそらく)別のローンの財務制限条項に抵触したため行われず、返済期限のリスケジュールが行われた
- 2022年中に返済予定だった2.9百万ユーロの返済が(おそらく)別のローンの財務制限条項に抵触したため行われず、返済期限のリスケジュールが行われた
起死回生策として、アイルランドで作られるウイスキーの3分の1以上を消費する最大市場のアメリカでの販売をテコ入れするため、ベンリアック、グレンドロナック、バッファロートレース、パピーバンウィックルなどのブランドディベロップメントの経験のあるジェームス・コーワン氏を迎え入れますが、時すでに遅し、でした。
マクロ環境的には、2014年から2022年までの8年間でアイリッシュウイスキーの生産量は2倍以上の大幅な成長を遂げました。しかし2023年は成長に急ブレーキがかかり、前年比わずか2.6%増となりました。また生産量の3分の1以上はアメリカに輸出されますが、物価高で個人消費が伸び悩んだなどの理由により2023年の対米輸出量は約3.5%減少しました。(出所 Irish Spirits Market 2022、2023)
そもそもブランドストーリーが一般消費者にとってわかりにくかったこと、プレミアムウイスキーとしての価格設定が消費者に歓迎されなかったこと、他のアイリッシュウイスキーとの競争が激化したこと、ウクライナ情勢もあって原材料価格や燃料価格が上昇したこと、マクロ環境も冷え込んだこと、そもそも高コスト体質だったことなどの理由が重なり、2020年からウイスキーの販売ができるようになり資金回収期に入っていたにも関わらず売上げが伸びない中で手元資金が枯渇しました。
3. 現在売られているウォーターフォードのボトルの価格はどうなるのか
(一言でまとめると:すぐには高騰するとは思えない)
破綻によりウォーターフォード製品の生産は現在ストップしています。
SNSでは今後ウォーターフォードのボトルがローズバンク、ポートエレン、リトルミルやインペリアルのような閉鎖蒸溜所のように高騰するのではないか、との声も聞かれています。
あくまでも私見ではありますが、ウォーターフォードのボトルが近い将来高騰するとはやや考えにくいです。
なぜなら破綻の理由がそもそも「高くて売れなかった」のに、すぐに再評価されるとは考えにくいからです。
またウイスキー業界全体の冷え込みが始まっている中で、投機的な資金はよりネームバリューがあり価格の下方硬直性の強い既存の一流蒸溜所に向かう流れが見えている中で、わざわざウォーターフォードにお金を突っ込む強い理由があるようには思えません。
またウイスキー業界全体の冷え込みが始まっている中で、投機的な資金はよりネームバリューがあり価格の下方硬直性の強い既存の一流蒸溜所に向かう流れが見えている中で、わざわざウォーターフォードにお金を突っ込む強い理由があるようには思えません。
今後HSBCが融資を回収するために取れるオプションは、担保資産であるウイスキー在庫を売却するか、会社そのものを新しいスポンサーに売却するかのいずれかです。会社が売却されると生産が継続する可能性もあり、その場合「閉鎖蒸溜所のボトルを高く売る」という目論見自体が崩れます。
ただし本当に閉鎖されてしまった場合、10年後や20年後にボトルが再評価される可能性は全くないとは言い切れませんが、相当な時間が必要となると思います。どうしても、というスケベ心が強い方は数本安値で買ってみて、押し入れに入れて数年忘れておくぐらいのスタンスでちょうどいいかもしれません。
4. ジャパニーズその他の新興蒸溜所、ボトラービジネスなどへの影響
やはり業界での経験が長く、コネクションも太く、製造技術も定評がある製造者ですら方向性を間違えると破綻してしまう、ということで心理的な影響は大きいでしょう。
それに加えて、予想以上の原材料価格などの生産コスト上昇と、それと同時に起きるインフレによる消費者の購買力の低下が破綻の大きな原因であるという事実も、改めてウイスキービジネスの難しさを浮き彫りにします。
新興蒸溜所は、設立時に株式の発行、金融機関などからの借入による資金で大量の新規設備投資を行い、日々の生産のための資金は当初の資金調達時に確保してあるものの、早くても3年後のファーストリリース以降ボトルの売上を当てにした資金計画を当初立てているはずです。
しかし日々の生産費用はここ数年、Covidやウクライナ情勢などによって計画時の想定以上に増えています。
手元資金が増えないとすれば、原材料費や燃料費、人件費が増えてしまえば、買える原材料が少なくなるので結果として生産量を減らすしかありません。想定より生産量が減ってしまえば、完成品の値段を当初想定よりも高く設定しないと予定通りの資金回収はできなくなります。
ですが今回の破綻では高価格路線に消費者がついてこなかったのも理由の一つです。競争の激化もあり、簡単に販売価格を上げるわけにもいきません。
したがって保守的な想定を置いて経営計画を立てていた蒸溜所はともかく、アグレッシブな想定で設立された新興蒸溜所にとっては、原材料(特にピート麦芽や蒸留に不可欠な燃料費の値上がりがきつい)価格の想定外の上昇と、それと同時に起きるインフレによる消費者の購買力低下とその結果としての販売量・販売価格の低下は致命傷になりかねません。
したがって保守的な想定を置いて経営計画を立てていた蒸溜所はともかく、アグレッシブな想定で設立された新興蒸溜所にとっては、原材料(特にピート麦芽や蒸留に不可欠な燃料費の値上がりがきつい)価格の想定外の上昇と、それと同時に起きるインフレによる消費者の購買力低下とその結果としての販売量・販売価格の低下は致命傷になりかねません。
手っ取り早く資金繰りを改善させるには、金融機関からの追加借入枠の確保が必要ですが、HSBCのような大手銀行が2023年1月に新規設定した融資枠が2年も経たずに破綻してしまい担保処分によって回収せざるを得なくなったということで、金融機関の貸出態度も慎重にならざるを得ないでしょう。したがってアグレッシブな計画を立てていた蒸溜所にとっては状況はかなり厳しくなるように思われます。
そのため、ボトラーや個人にカスクを売ることによって、目先の資金を確保する動きが加速することも考えられます。
ウイスキーブームピーク時には、蒸溜所は手元資金が潤沢でもう資金繰りのためにこれからカスクをボトラーに売る必要がなくなってしまうとの見方から、「ボトラービジネスは消滅する」と言われました。大手ボトラーでは自ら蒸溜所を設立する動きも多く見られました。ですがこのような状況に変化してくることで、資金力のあるボトラーがカスクを買って蒸溜所の資金繰りを助けたり、あるいはボトラーが蒸溜所そのものを買ってしまうような動きが出てくるように思えます。
個人がカスクを買える機会も増えるかもしれませんが、リスクはそれなりに高まることに注意が必要です。
蒸溜所が破綻した場合、蒸溜所にお金を貸していた金融機関が貸出金を回収するためにウイスキーのカスクを売却する際、蒸溜所が保有しているカスクと個人保有のカスクの区別がしっかりなされるのかどうかという心配が残ります(金融のプロの言い方では登記制度のない個人による動産の権利の移転にあたっては「第三者対抗要件の具備」の問題があります)。
別の言い方をすると、蒸溜所から自分がお金を払って買ったはずのカスクが、蒸溜所が破綻したことによってすでに私のものになっていたはずなのに蒸溜所のものとして借金返済のために金融機関に持っていかれてしまうリスクがある、ということです。
さらに極端な例ですが、資金繰りに窮した蒸溜所が、私が買って保管庫に預けてあるカスクの中身をこっそり抜いてバルクウイスキーとして売ってしまうようなことも考えられます。悪意があれば、中身が少なくなっても「樽が割れて漏れた」「気温が高く想定以上にエンジェルシェアが出た」などといくらでも言い訳はできます。
というわけで、今回の破綻のニュースがどのようなインプリケーションを持つのか、さまざまなリスクが改めて意識されるきっかけになったことをお分かりいただけたら幸いです。